アルゼンチンのテニス選手であるXは、試合前、カフェで妻たちと一緒に自分で持ってきた水をコップに入れて飲んでいました。そのあと、妻はXが席を離れている間に、Xの座っていた席に移動し、Xが使用していたコップに彼女がいつも飲んでいた薬を溶かしてすべて飲み干し、妻もまた席を離れました。その後しばらくしてカフェに戻ってきたXは、同じコップに再び自分で持ってきた水を入れ、その水を飲みました。
この時、Xはコップに残っていた微量の妻の薬を飲んでしまい、この薬に含まれる成分が禁止薬物であったため、試合終了後のドーピング検査で陽性となってしまったのです。Xはドーピング違反として成績取消、賞金・ポイントの没収、また、2回目の違反であったため8年間の資格停止となりました。 この決定に対してXは、席を離れている間に妻が自分のコップで薬を飲んだことを知らず、薬を飲んでしまったことはわざとではないのに、8年間もの資格停止は重すぎる制裁であるとして、スポーツ紛争仲裁機関に救済を求めたのです。
今回のXの薬の服用には、Xにも責任はあったが、それはわざとではなく偶然のものであったこと、また微量であったため競技能力の向上につながらなかったことも考慮し、8年間の資格停止は重すぎるとして2年間に資格停止期間を縮める判断を下しました。
当時の規定では、たとえ薬の摂取がわざとではなくても2回目の違反については8年までしか資格停止期間を短縮することができませんでした。しかし、8年間の資格停止というのはスポーツ選手にとっては永久資格停止と変わらないくらい厳しい処分と言えます。スポーツ紛争仲裁機関は、規定だけでは補いきれない公正さを、紛争の特殊性を考慮することで補い、不当な決定を是正する役割を果たしていると言えます。