Home
機構の概要
機構の体制
役員名簿
定款等規則
議事録等
財務について
仲 裁
仲裁とは
仲裁規則
仲裁人候補者リスト
仲裁条項採択状況
調 停
調停とは
調停規則
調停人候補者リスト
仲裁判断集
研究・調査
研究・調査
スポーツ仲裁法研究会
スポーツ仲裁シンポジウム
一般財団法人日本スポーツ仲裁機構
仲裁判断
2003年度(JSAA-AP-2003-003号事案)
機構の概要・議事録等
定款その他組織運営等に関する規則等
仲裁
調停
仲裁条項採択状況
仲裁判断集
研究・調査
スポーツ仲裁法・スポーツ法資料
仲裁判断
仲裁判断
PDF
仲 裁 判 断
日本スポーツ仲裁機構
JSAA-AP-2003-003
申立人:X
申立人代理人:
弁護士 山崎 卓也
弁護士 石渡 進介
相手方:
日本身体障害者水泳連盟
相手方代理人
弁護士 木ノ宮 圭造
主 文
本件スポーツ仲裁パネルは次の通り判断する。
(1)申立人の請求(1)および(2)を棄却する。申立人の申立(3)を却下する。
(2)申立料金5万円は申立人の負担とする。
理 由
第1.当事者の求めた仲裁判断
1.申立人は、次のとおりの仲裁判断を求めた。
(1)相手方が平成15年3月28日に行った「申立人を平成15年度強化指定選手に指定しない」との決定を取り消す。
(2)相手方は申立人を相手方平成15年度強化指定選手に指定せよ。
(3)その他日本スポーツ仲裁機構仲裁パネルが適当と考える申立人を救済する対応を行う。
(4)仲裁費用は相手方の負担とする。
2.相手方は、次のとおりの仲裁判断を求めた。
(1)本件申立を却下する。
(2)申立人の本件請求を棄却する。
(3)いずれの場合も仲裁費用は申立人の負担とする。
第2.仲裁手続きの経緯
1. 平成15年8月19日、申立人は日本スポーツ仲裁機構に対して第1.1.記載の仲裁判断を求める仲裁申立を行った。
2. 相手方は、同年9月24日付文書にて仲裁申立てに同意し、その同意書は同年同月26日本スポーツ仲裁機構に到達した。
3. 同年10月6日、相手方は、日本スポーツ仲裁機構に仲裁人の選任を委任し、同月8日、同機構は仲裁人として浦川道太郎を選出した。
4. 同年10月10日、申立人は、仲裁人として水戸重之を選任した。
5. 同年10月22日、仲裁人水戸重之と仲裁人浦川道太郎は、日本スポーツ仲裁機構に第三の仲裁人の選任を委任し、同月24日、同機構は仲裁人として野村美明を選出した。
6. 本スポーツ仲裁パネルは、同年11月9日に審問期日を指定したが、申立人の都合により開催できなかった。その後、両当事者の意見を聞いた上で日程調整を図ったが各当事者及び仲裁人の日程が合わず、最終的に平成16年1月18日に審問期日を決定した。
7. 本スポーツ仲裁パネルは、同年12月14日に審問期日準備のための協議を行い、同18日付照会状にて、両当事者に対し照会を行い、申立人、相手方それぞれは翌平成16年1月8日付文書にて照会状に対する回答を行った。
8. 同年1月18日13時より18時まで、東京都内において、当事者双方及び各代理人(申立人X、申立人代理人山崎卓也、申立人代理人石渡進介、相手方副会長兼相手方代理人Y1、相手方技術委員長兼相手方代理人Y2、相手方代理人木ノ宮圭造)出席のもと、審問が行われた。
9. 相手方は、審問期日において認められた期日外の主張及び証拠書面を同年1月28日仲裁パネルに提出した。
10.本件スポーツ仲裁パネルは、同年1月28日及び2月13日に協議を行った。
11.スポーツ仲裁規則第40条第1項第2文に従い審問期日において定められた期日外の手続終結の予告期間である同年2月4日が経過し、本件仲裁手続きは終結した。
第3.事案の概要(当事者の主張)
1. 当事者
(1) 申立人
(i) 申立人は、昭和30年8月22日生まれ(現在48歳)であるが、昭和41年ころ(11歳)、ネフローゼ症候群を発病し、その後入退院を繰り返しながら、昭和53年(23歳)に脊髄炎が原因で胸から下の自由を失うという障害を負った。具体的な障害は、胸髄損傷(横断性脊髄炎による第1胸レベル以下の完全麻痺両下肢の機能全廃)、両肩間接の著しい機能障害(両肩間接骨頭壊死、右肩腱盤断裂)、膀胱・直腸障害、胸から下の感覚麻痺による座位バランス不良である。その後も入退院を繰り返していたが、平成元年(33歳)に退院した後、障害者水泳を始めた。
(ii) 平成11年1月ころ、相手方が強化指定選手制度を設けた際に、平成10年度強化指定選手としての決定を受けて強化指定選手となり、平成12年10月に開催されたシドニー・パラリンピック大会(以下「シドニー大会」という)の代表選手として選考され、女子200m自由形リレーの第2泳者として出場し、世界新記録で優勝し金メダルを受賞した。
(iii) 申立人は、本件当時以前より現在に至るまで相手方の登録者であり、スポーツ仲裁規則第9条第2項に定める「競技者」である。
(2) 相手方
(i) 相手方は、昭和59年4月に、日本における身体障害者水泳において全国規模の競技会を開催するという動きから任意団体として設立された、わが国における身体障害者の水泳に関する統一組織である。相手方の会員数は、会員数は約900名、通常予算規模150万円程度、専従職員はなく、役員のボランティア活動により維持されている。
(ii) 相手方は、スポーツ仲裁規則第9条第1項に定める「競技団体」である。
2. 本件に至る経緯
(1)シドニー大会における事件
(i) 申立人は、平成10年度、平成11年度および平成12年度のそれぞれにおいて相手方の強化指定選手として選定され、平成12年10月シドニー大会に出場した。
(ii) 申立人は、平成12年10月24日同大会において女子200m自由形リレーに出場し金メダルを獲得した翌日の10月25日に相手方の外出許可を得て外出したが、選手村に帰るバスの中で気分が悪くなり、選手村に到着時には意識消失状態となった。救急車で選手村内の診療所に運ばれ、深夜までの治療となった。外出時には予備のステロイド薬を携帯していなかった(以下「シドニー事件」という)。
(iii) 翌26日の100m自由形の出場は棄権したが、27日の50m自由形には出場し、28日の200mメドレーリレー(申立人の水泳距離は50m)にも出場予定であったが、他の選手の健康状態悪化のために日本チームは出場を棄権したため申立人が出場する機会はなかった。
(2)感想反省文の公表
申立人は、シドニー大会から帰国した後、相手方の求めに応じて、「パラリンピックに参加して(感想&反省)」と題する文書(以下「本感想反省文」という)を提出した。これは練習におけるストレスや、選手村での環境面、100m自由形への出場棄権を求められた際の問題などをまとめたもので、パラリンピック大会に参加した際の申立人自身に対する反省と、相手方に対する問題提起の両方を含むものであった。申立人は、これを申立人のホームページにおいても公表した。
(3) 本規定改正の経緯
相手方の国際大会強化指定選手規定(以下「本規定」という)は、平成11年2月に策定され、その後改定を経ている。その改定の経緯は次の通りである(下線は、本スポーツ仲裁パネル)。
(i) 平成11年2月の本規定
(1)相手方の登録者であること
(2)次のいずれかの競技会に出場していること
<1> JP大会
<2> 全日本大会
(3)国際のクラス分けが済まされていること
(ii) 平成13年2月改定の本規定
(1)相手方の登録者であること
(2)次のいずれかの競技会に出場していること
<1> JP大会
<2> 全日本大会
(3)JP大会のクラス分けが済まされていること
(4)年齢、体力、健康などに著しい支障がないこと
(5)トップアスリートとして、他の選手の手本となるもの
(iii)平成15年2月改定の本規定(甲第36号証)
(1)相手方の登録者であること
(2)次のいずれかの競技会に出場し、IPC等国際ランキングとの比較で成績優秀な者
<1> JP大会
<2> 全日本大会
<3> その他国際水泳連盟(以下「FINA」という)、IPC規則などによる公式大会
(3)JP大会のクラス分けが済まされていること
(4)健康上の問題がなく、競技水泳を行う上で心身ともに適した状態であること
(5)トップアスリートとして、礼儀と規律を遵守し、日本代表となり得るもの
(iv)
平成13年改定は、平成13年2月18日の第18回日本身体障害者水泳連盟定例代表者総会において、また、平成15年改定は、平成15年2月22日の第20回日本身体障害者水泳連盟定例代表者総会において、それぞれ承認されている。いずれの時点においても、申立人は、総会の構成員である兵庫県身体障害者水泳連盟の副会長の職にあり、またいずれの総会についても相手方は上記改定の議題を同兵庫県身体障害者水泳連盟に送付している。
(4)平成13年度強化指定選手からの選考漏れ
(i)
相手方は、申立人に対し、同年5月14日付で、「平成13年度国際大会強化指定選手について」と題する文書を送付し、平成13年度および平成14年度については、「ランキングと年齢を考慮し」選考した旨を理由に、平成13年度強化指定選手の選外となったことを通知した。
(ii)
これを受けて、申立人は相手方に問い合わせをし、その後、電話および面談により、申立人と相手方との間で、申立人を強化指定選手に選出しなかったことの当否及びその根拠について話し合いが行われたが、申立人が平成13年度及び平成14年度の強化指定選手に選出されることはなかった。
(5)
IPC世界選手権アルゼンチン大会への日本代表からの選考漏れ
申立人は、平成14年12月に開催されたIPC主催の世界選手権アルゼンチン大会の日本代表に選出されなかったため、平成14年4月15日付書面(甲第23号証)にて相手方に個人の資格において同世界選手権参加手続きを依頼したが、相手方は申立人に対し平成14年4月30日付書面(甲第24号証)にて、日本チームの編成にあたっては相手方の強化指定選手から選考する予定であること(申立人は平成14年度の強化指定選手になっていない)、相手方はエントリー等の手続きだけを請け負う機関ではないことを通知し、申立人の依頼に応じなかった。
(6)A氏の写真・記事掲載問題
(i)
平成14年12月頃、申立人は、そのホームページ上に、国際パラリンピック委員会水泳部門委員長であるA氏の写真と共に、同氏をオーストラリアに訪問して、私が「シドニー・パラリンピックの時に体調を崩したことに対しIPCからクレームがあったと日本の協会から言われ、日本では年齢や病気を理由に国際大会に参加することに対し規定をもうけられ、排除されています・・・」と告げたのに対し、A氏が提訴を考えてもよいのではないかとアドバイスをした旨掲載した(乙第10号証の1)。
(ii)
これを知ったA氏は、平成15年8月13日付で、国際パラリンピック委員会(IPC)水泳部門(Swimming)の肩書きで、申立人に対し、「あなたが私(A氏を指す。以下この引用文において同じ)の世評を傷つけるような私についての誤った引用による情報を提示していること」、「あなたは私の許可なく私の写真を使用して」いること、「その情報と写真をただちに貴ウェブサイトから削除してほしい」こと、「もし、それがなされない場合は、これらの重大な違反を申し入れるための適切な法的措置をとること」になる旨通知し(乙第10号証の2、英文とその和訳)、申立人はこれに応じて削除した。
(7)平成15年度強化指定選手の選考
(i)
平成15年に入り、平成16年に開催予定のアテネ・パラリンピック大会(以下「アテネ大会」という)の代表選考につながる平成15年度強化指定選手の選考が検討される時期となった。同年2月上旬ころに、平成15年度国際大会強化指定選手のために候補者に対して「平成15年度国際強化指定選手の選考について」と題する文書が配布されていることが申立人の知るところとなった。同文書には、国際大会強化指定登録審査申請書、国際大会出場経験調査書、健康診断書、健康調査書、服薬内容記入用紙などが同封されており、これらの書類(以下「本申請書類」)を同年2月28日までに提出するように求めていた。
(ii)
ところが、申立人は、IPC世界ランキングにおいて2種目において5位以内にランキングされているにもかかわらず、本申請書類を提出する要請を受けることはなかった。
(iii)
申立人は、知人を通じて、本申請書類すら送付されないのかを問い合わせたところ、シドニー大会の際の体調不良を指摘され、医師から競技を制約されている選手には文書を送付できないとの回答を受けた。
(iv)
そこで、平成15年2月27日、相手方に対して、代理人弁護士を通じて、本申請書類を送付することを求める通知を送付した。
(v)
相手方は、その後同年3月15日に、ホテル1-2-3神戸で開催された強化指定選手選考委員会において、申立人を平成15年度強化指定選手に指定しない方針を決定し、申立人代理人の要請に回答する形で、同年3月28日付けで申立人に通知した(甲第33号証。以下「本決定」という)。
(vi)
その主たる理由は、
<1> シドニー大会の際の体調不良が重症であったこと、
<2> 平成14年度に申立人が送付した診断書や平成15年3月に申立人が送付した診断書などから薬の量に変化はないこと、
<3> 年齢の点については説明済みであること、
<4> 以下(ア)乃至(ウ)の申立人の行為は、平成15年度の本規定にある、「トップアスリートとして礼儀と規律を遵守し、日本の代表となり得る者」との選考条件に必ずしも該当しないこと。
(ア)シドニー大会の年に、申立人が主治医から「競技の引退、身体の安静」を勧められていたことを相手方に報告しなかったこと。
(イ)申立人のホームページで相手方役員とのやり取りを一方的な解釈のもとに非難、実名を掲載するといった行為。
(ウ)政治家を使う行為。
3.当事者の主張
(1)申立人は、申立ての理由として以下を主張する。
(i)
本決定の根拠となる平成15年度の本規定(以下、文脈によりそれ以前のものを含む趣旨でない限り、「本規定」は平成15年度のそれを指すものとする)が、著しく合理性を欠くことから、当該規定に則って行われた本決定自体が著しく合理性を欠くものとなっていること。
(ii)
本決定の根拠となる平成15年度の本規定の運用が、著しく合理性を欠くことから、当該規定に則って行われた本決定自体が著しく合理性を欠くものとなっていること。
(iii)
本決定を行うに至る手続に瑕疵があること。
(iv)
仮に平成15年の本規定を合理的範囲で適用し、合理的な選考手続きを行った場合には、申立人は相手方平成15年度国際大会強化指定選手に指定されるべきであるが、本規定を合理的範囲で適用し、合理的な選考手続を行ったとし、本決定を下したと主張するのであれば、本決定自体著しく合理性を欠くこと。
(v)
以上に関し、申立人は、本決定が申立人の<1>健康問題、<2>年齢、<3>品格を理由としている点、および<4>申立人は強化指定選手に選考されるべき十分な記録・実力を有する点を主張している。
(2) 相手方は、却下または棄却申立ての理由として、以下を主張する。
(2)-1
申立人の申立は、「法律上の争訟」に該当せず、不適法である。
(2)-2
申立人の請求については、次の通り主張する。
(i)
相手方は、申立人が平成15年度強化選手に指定するよう要請してきたのに応じて、同月15日、強化選手選考委員会を開催し、申立人から提出された診断書を含む資料に基づき、申立人の要請の当否を審理し、専門医の意見を聞いた上で、基本的に医学的見地に基づき、要請に応じないことを決定したこと。
(ii)
相手方は、相手方の本決定の主な理由は、医学的見地に基づく健康問題であり(<1>)、年齢(<2>)、品格(<3>)は予備的な理由であること。なお、相手方は、申立人の記録・実力の点(<4>)については特に争っていない。
第4.判断の理由
1.本案前の答弁についての判断
(1)
相手方は、申立人の申立を法律上の争訟にあたらないことを理由に不適法却下を主張する。この点について本仲裁パネルはスポーツ仲裁規則第26条に基づき以下のとおり判断する。
(2)請求の趣旨(1)の申立について
相手方は、本件申立について、平成15年9月24日付文書により、スポーツ仲裁機構に対し、仲裁合意の意思表示をしているものであり、機構の定めるスポーツ仲裁規則(以下「本仲裁規則」という)の適用を受けるところ、本仲裁規則第2条1項は、「競技団体またはその機関がした決定(中略)について、競技者・・・が申立人として、競技団体を相手方としてする仲裁申立に適用される」旨、規定する。本件申立書請求の趣旨(求める救済内容)(1) (相手方が平成15年3月28日に行った「申立人を平成15年度強化指定選手に指定しない」との決定を取り消す。)は相手方の具体的な決定に関するものであることは明らかであり、本仲裁規則に従った申立てといえる。
(3)請求の趣旨(2)の申立について
ある選手をその所属競技団体の強化指定選手または当該競技の国際大会における日本代表選手に選出せよとの判断をすることが仲裁パネルの権限内か否か(従ってスポーツ仲裁規則上そのような判断を求める申立が適法か否か)については、一般的に判断することはできないが、本件についていえば、同請求の趣旨(2) の「相手方は申立人を相手方平成15年度強化指定選手に指定せよ」との申し立てについては、同請求の趣旨(1)について請求棄却と判断される以上、本決定の取消を前提とした請求の趣旨(2)の認容の余地はないので、その申立の適法性を判断することなく請求の趣旨(2)は棄却を免れない。申立の適法性の判断は請求についての判断の先決事項であるとの見解もありうるが、本件に関しては、上記のように解しても、申立人、相手方いずれの手続保障及び利益保護にも欠けるところはないと考える。
(4)請求の趣旨(3)の申立について
請求の趣旨(3)は、文言から判断すると具体性、特定性を欠き仲裁判断の対象となりえないといわざるを得ない。この点に関し、審問期日において申立人は、「その他・・・適当と考える救済」について、すでに平成15年度強化指定選手の強化期間が満了近くなっていることから、平成16年度強化指定選手またはアテネ大会日本代表選手の選考として配慮されたい旨、申し述べた。しかしながら、かかる意見により同請求の趣旨(3)の申立内容を補充して解釈した場合、かかる申立は請求の趣旨(1)および(2)が対象としている本決定とは別個の相手方の決定に関するものといわざるを得ず、かつ、かかる相手方の別個の決定はいまだなされていないのであるから、仲裁判断の対象が存在せず、この点の申立は却下を免れない。
2.本案の判断
(1)スポーツ仲裁判断の基準について
(i)
申立人が取り消しを求める本決定は、相手方の定めた本規定に基づくものであるが、本規定は競技団体が団体運営のために自律的に定めた規則と解することができ、本件仲裁判断の対象である本決定の適否は、競技団体が自律的に定めた規則に基づく決定の当否を争うものと理解することができる。
(ii)
スポーツ仲裁における仲裁判断の基準として、日本スポーツ仲裁機構の仲裁判断の先例によれば、「日本においてスポーツ競技を統括する国内スポーツ連盟-相手方もその一つである-については、その運営に一定の自律性が認められ、その限度において仲裁機関は国内スポーツ連盟の決定を尊重しなければならない。仲裁機関としては、国内スポーツ連盟の決定がその制定した規則に違反している場合、規則には違反していないが著しく合理性を欠く場合、または決定に至る手続きに瑕疵がある場合等において、それを取り消すことができるにとどまると解すべきである。」と判断されており(2003年8月4日日本スポーツ仲裁機構JSAA-AP-2003-001仲裁判断)、当仲裁パネルも基本的にこの基準が妥当であると考える。
(iii)
加えて、国内スポーツ連盟(スポーツ仲裁規則第9条第1項に定める「競技団体」と同義と解する)の制定した規則自体が法秩序に違反しまたは著しく合理性を欠く場合にも、かかる規則を適用した決定を取り消すことができるものと解すべきである。
(2)本規定の内容は著しく合理性を欠くとの申立人の主張について
申立人は、本規定の内容が著しく合理性を欠く旨主張しているので、この点を検討する。
(i)他の競技団体の選考基準について
(ア) 本スポーツ仲裁パネルは、本規定制定の経緯及び根拠を検討する上で、他の競技団体の選考基準が参考になるのではないか、また、相手方がパラリンピック大会への日本代表選手を選考するわが国唯一の身体障害者水泳に関する団体であるとすれば、その選考基準等作成のために、これらの選考基準を参考にしているのではないかと考え、諸外国のパラリンピック競技大会代表選考基準(及びそのための強化指定選手への指定基準)並びにわが国の他の競技団体(特に日本水泳連盟)のオリンピック競技大会代表選考基準(及びそのための強化指定選手への指定基準)の資料の提出を求めた。
(イ) しかしながら、相手方は、平成16年1月8日の本スポーツ仲裁パネルの照会に対する答弁において、パラリンピック大会への代表選考基準については、「資料を手持ちしない」と回答し、その理由も「パラリンピック主催者である、Internatioal Paralimpic Committee(IPC)(注:原文のママ)には、相手方及び関係団体から役職員を出していないので、にわかに資料を得ることが出来ない」と述べている。この点、役職員を出していないからといって資料が得られないという点は理解に苦しむ。相手方は、IPC、またはその傘下団体であり自らも所属している財団法人日本障害者スポーツ協会に問い合わせをした形跡すら認められない。さらに、「IPCがドイツに事務所を置き、水泳部門はAnne Green女史(オーストラリア)が取り仕切っているので、仮に、IPCに公開文書資料が有るとしても、入手まで相当の時間を要する」と回答している。しかしながら、A氏は、相手方答弁書によれば、来日した際、相手方と申立人のホームページへの記事掲載に関して話し合い、同氏は「その場で」国際パラリンピック委員会へ連絡したとするエピソードをあげており、交流があることがうかがわれるのである。
(ウ) また、日本水泳連盟の選考基準については、相手方は「交流を持たず、文書資料を入手できていない」、「日本水泳連盟は、貴機構の極く近くに在るから、恐縮であるが、貴機構に於いて直接、同連盟から入手してくださるよう希望する」と回答している。IPCへの照会は、英語という言葉の問題でコミュニケーションに時間がかかると感じたとすればまだ心情的に理解できなくもないが、日本国内の、同じ水泳競技団体への照会について、単にこれまで交流がないから入手できないといって、照会すらしないという回答には理解に苦しむ。もっとも、相手方は、財団法人日本水泳連盟より兵庫県水泳連盟に示されたアテネ・オリンピック大会の代表選考及び強化指定選手に関する選考基準を、平成15年12月26日付で、兵庫県水泳連盟からの聞き書き(作成者相手方技術委員長Y2)という形式で提出している(乙第17号証)。
(エ) いずれにせよ、乙第17号証を除いては、相手方は他の参考にすべき競技団体の選考基準を手持ちせず、乙第17号証の作成日付(平成15年12月26日)からすると、本規定作成の時点ではこれを了知していなかったことがうかがわれる。
(オ) 以上より、他の競技団体の選考基準への準拠または内容の近似性を理由に、本規定の内容の合理性を判断することは困難である。
(カ) ただし、乙第17号証に示された基準には、申立人が不明確であると指摘する「トップアスリートとして、礼儀と規律を遵守し、日本代表となり得るもの」との基準、及び不合理であると指摘する「年齢考慮」の基準にあたる規定は存在しない。
(ii) 本規定自体の合理性
(ア)
本規定のうち、申立人が問題視しているのは次の3つの基準である。
<1>健康上の問題がなく、競技水泳を行う上で心身ともに適した状態であることとの基準(以下「健康基準」という)
<2>健康基準に関する補足説明としての「基礎的な条件として体力、年齢も加味されることになります」との基準(甲第37号証2頁。以下「年齢基準」という)
<3>トップアスリートとして、礼儀と規律を遵守し、日本代表となり得るものとの基準(以下「品格基準」という)
(イ)
これらの基準のうち、<1>健康基準については健常者の競技スポーツについても明文の有無にかかわらず当然勘案すべき基準であり、身体障害者スポーツの特質に鑑みても健康上の判断をすることはこれまでも行われてきたことが証拠よりうかがわれ、健康基準はそれ自体合理的な基準といいうる。
(ウ)
また、<2>年齢基準については、体力とともに「加味する」というのみであって、加齢の健康に与える影響は、個人差はあるものの、考慮すべき問題と考えたとしても著しく合理性を欠くとはいえない。
(エ)
<3>の品格基準については、確かに抽象的な面があり、相手方に対して意見を言う者を排除する際の基準として濫用されるおそれがないとはいえないが、他の選考基準はすべて満たしつつも著しい非行の見られる選手(申立人を指すものではない)を除外すべき場合がないとはいいきれず、そのための基準としては規定自体が著しく合理性を欠くとはいえない。
(iii)
以上より、本規定の内容が著しく合理性を欠くとは認められない。
(3)本規定の運用は著しく合理性を欠くとの申立人の主張について
(i)本決定の理由についての両当事者の認識の相違
申立人は、本規定を申立人に適用した具体的運用が著しく合理性を欠く旨主張している。この点に関し、申立人は、相手方の本決定が、<1>健康問題、<2>年齢、<3>品格を理由としていることの問題点について主張し、また、<4>申立人は強化指定選手に選考されるべき十分な記録・実力を有する旨主張している。これに対し、相手方は、相手方の本決定の主な理由は、医学的見地に基づく健康問題(<1>)であり、年齢(<2>)、品格(<3>)は予備的な理由である旨主張し、また申立人の記録・実力(<4>)については特に争わない等、本決定に至った理由についての認識が両当事者において異なっている。そこでこれらの点について、検討する。
(ii)健康基準について
(ア)本決定における健康基準の適用
平成15年3月28日付通知書(甲第33号証)によれば、強化指定選手に指定しない理由として、シドニー事件やステロイド薬使用の影響及びこれについての医師の見解等、主に申立人の健康問題が理由であった旨回答しており、平成14年に入って申立人が提出した厚生労働大臣宛書類や申立人主治医の診断書が出されたことを契機に再度相手方側の医師にも見解を聞く等して再検討した結果、ステロイド薬の量に大きな変化がないこと、長期にわたるステロイド薬の影響を懸念していること、シドニー事件のこと、シドニー大会の年に主治医より「競技の引退、身体の安静」を勧められていたことを同大会後に知るに至ったことなどが本決定の理由として記載されている。
(イ)
シドニー事件(平成12年10月)の評価
<1> 本決定の理由の一つとして挙げられているシドニー事件については、平成12年12月18日付で、シドニー大会の医務班による報告書が作成されている(乙第13号証)。これによれば、医務班責任者B医師の報告として、「今回は事前合宿における医学チェックが全くなされなかった。其の結果は大きな反省事項を残した。本来参加するべきでない者が参加する結果になったこと。」及び「・・・死をも辞さない覚悟で臨んだ内科的重傷(注:重症の誤りと思われる)患者レベルの競技者の参加を神に祈る気持ちで許可し、医師として本来あるまじき決断をしたことは医師団責任者として未だに釈然としていない。」と競技への参加を希望する競技者と医学的判断との間に挟まれた苦悩と反省を率直に報告しているのであり、シドニー大会後の競技者に対する健康基準の適用がより厳格になったであろうことは想像に難くない。
<2> また、同医務班報告書のC医師の報告には、問題となったケース、比較的重症となったケースとして、「意識消失発作」があげられており、「これらのうち4件は、好ましくない症状を発現することが成田空港集結以前より強く予測できたと思われる症例であり、今後は一考を要するであろう。」と報告されている。
<3> この報告書に関しては、平成15年9月8日付の同医務班責任者B医師の日本身体障害者水泳連盟会長D宛回答書(乙第15号証)において、「お尋ねの医務班報告書にある「意識消失発作」選手、「内科的重症患者レベル」選手は、Xのことである。」「発作にて状況がわかり、出場させるべきか否かで問題になったケースと記憶している。ステロイドホルモンを30mg以上使用していた。全くの治療継続中患者レベルの選手であり、殆ど副腎皮質の機能を欠いた状態であると医師全員が判断した。」「薬剤による機能補填で生活機能を保っている状況では、大きなストレスによって突然死に至る危険性が高く、如何に本人が大丈夫と信じていても医師として危険を回避するべきことが本来の態度であるべきである。現在も考えに変わりは無い。選手団に加えるべきではなかったと判断している。」と報告している。また、C医師について「その当時の医師団として「選手団に加えるべきでなかった」と判断していることから、C医師からそのような発言があったことは推測できる。」と報告している。そして「現在の身障スポーツはほぼ競技スポーツとして定着しており、選手自身自己責任を取る意気込みではある。このことは、態度としては尊重するべきであろうが、逆にドクターストップを命令しがたい状況下にある。」と報告している。
(ウ)平成14年における医学的所見
<1> 申立人の主治医的立場にあったと思われるE医師より相手方チームドクターF医師に対して、申立人の要望に基づき、医師としての所見が平成14年5月15日付書面にて報告されている(乙第4号証)。そこでは、病名をネフローゼ症候群と診断した上で、1971年よりステロイドの投与を開始したこと、平成12年2月当時プレドニン50mgx4+30mgx3日/週の内服を続けていたが、プレドニン25mgx4+37,5mgx3日/週まで減量できたこと、ネフローゼ症候群が寛解状態であり、重篤なステロイドの副作用も認めませんとの記述があるほか、所見として「本来なら、競技は引退し、身体安静を保ち、副作用を考えて、早期にステロイドの減量を図るのが一番であると説明し」たこと、「しかし、本人は競技とそれに伴うトレーニングの続行を強く希望し」たこと、「このため、<1>その時点で、ネフローゼ症候群が寛解状態であったこと。<2>重篤なステロイドの副作用を認めなかったこと。なおかつ、結果としてネフローゼ再燃のリスクが高くなることおよびステロイドの長期服用になることのリスクを理解し本人が了解することの申し出あったため(注:原文のママ)、競技の継続を了承しました。」「ですので、私としては現時点での競技の続行は可能かと判断しております。」との記載がある。
<2> すなわち、ここにおけるE医師の見解は、医師としては勧められないが、本人が強く希望するので本人の自己責任において競技を継続するのであれば反対はしないとの見解と読むことができる。また、競技続行とは一般的な障害者水泳を指すものと考えられ、必ずしもパラリンピック出場やその前提となる強化指定選手としてのトレーニング(合宿を含む)に適しているとの判断を含んでいるとはいえないと考える。
<3> E医師の診断については、審問期日において申立人は「E先生から引退を勧められたことはありません」と証言する一方で「(E医師に)治療に専念することが望ましいとの意見はありました」と証言していることからも、E医師の判断は、競技水泳を継続することへの健康上の懸念を強くもっていたことがうかがわれるのである。
(エ)平成15年(本決定時まで)の医学的所見
<1> 本決定の内容を決めたのは、平成15年3月15日の強化指定選手選考委員会であるが、その時点ですでに申立人代理人より申立人を強化指定選手に選考すべき要望書が出されていたことに対し、「連盟医師にも再度見解を求め、文書にまとめたもの、選考委員会の判断とすることを決定」(原文のママ)としている(乙第2号証の1)。
<2> またその前提となったその前日の平成15年3月14日の選考委員会副委員長(クラス分け委員長)G氏の文書には、チームドクターであるF医師及びH医師と検討した結果として、「Xさんは関西医大のE先生の診断書については内科的な観点からの判断であって、整形外科的な問題をまったく考慮していません。整形リハビリテーションクリニックのI先生の診断書に記載されているように両側上腕骨の骨頭壊死による骨破壊と変形があれば、水泳は不適と判断すべきです。他の関節(股関節、膝関節)の骨壊死の有無についても気になります。」とのコメントがある(乙第2号証の2)。
<3> 他方、申立人は、申立人の健康には問題がなく強化指定選手に選出されるのに十分であり、相手方のあげる理由は申立人を選考から排除するための理由にすぎないと主張する。その根拠として、平成15年2月17日付のE医師の申立人が競技水泳をすることについて問題のない旨記載した診断書をあげている(甲第12号証。その後、同医師とは異なる3人の医師の診断書-平成15年3月18日付J医師、平成15年4月11日K医師、平成15年5月7日付L医師の各診断書を提出している。甲第13号証から甲第15号証)。
<4> しかしながら、これらはいずれもパラリンピック大会という長期の滞在を前提とする国際大会への出場及びそれに向けての強化合宿等の激しいトレーニングについての所見は必ずしも明らかではなく、また甲第14号証には「精神的ストレスに対する過剰反応も副腎機能低下によるものと考えられ、ステロイド剤の増量にてコントロール可能と考えられます。」とステロイド増量が必要になる場合のありうることを記載している。
(オ)本決定以降の医学的所見
<1> 本決定以降に示された相手方側の医学的所見としては、相手方チームドクターF医師およびH医師による、平成15年9月18日付けの「X選手の国際強化指定選手選考における医学的見解について」と題する書面がある(乙第9号証)。これは本件申立後に相手方より本決定についてのチームドクターの所見を既存の資料に基づき改めて求めたものであり、改めて申立人を診断した上での判断ではないが、事後的に判断しても、ステロイド多量服用、シドニー大会時の副腎不全症状発生のエピソード、ステロイドの長期投与の合併症である両上腕骨の骨頭壊死の事実等から申立人は競技水泳をするには不適切との当時の判断に誤りはなく、その見解を現時点で変更する必要を認めないことを内容とするものである。
<2> また、そこでは、本決定のための選考会において「選手選考時の医学的申し合わせ事項としてステロイドを服用している選手は基本的に競技選手として扱うことは好ましくない旨を提示」したこと、「今後養成する選手に関しては更に厳格な規定が必要で、健康管理の観点から障害が明らかに固定した選手のみを選考対象」とすること、従って「神経難病等をステロイドで管理している障害者は競技スポーツ参加の対象外」となるとの見解が示されている。
<3> さらに、ステロイド薬服用の副作用について「このような危険性は未然に防ぐべきであり、長期内服者の競技スポーツは回避すべき」であり、「既に明らかにステロイド服用による副作用が出ている場合には強化指定選手としてはふさわしくない事は自明の理です。」と締めくくっている。
<4> この点に関し、相手方技術委員長Y2の証言によれば、ステロイド服用を理由に、平成15年度強化指定選手の選考から漏れた選手は他にもいるとのことであり、乙第2号証の1に「HDrからFDrの意見も含め(中略)●●選手(注:伏字はプライバシー保護のため本件仲裁パネルへの証拠提出にあたり相手方において伏せられたものである)はステロイド薬を常用しているため適しないのではとの意見」「●●選手(注:他の記載より上記選手とは別選手と理解できる)のステロイド薬を服用していた期間と量について再調査以来(注:原文のママ)があった」との記載に関して、これらは申立人ではなく別の選手のことである旨証言している。また、これら2名を含む「上記5名については保留とする」との判断が記載されている。これらを総合的に判断すると、ステロイド薬の長期服用は、健康基準の観点から強化指定選手の選考会において一般的に問題視されていたこと、申立人以外にもステロイド薬の使用を理由に選出されなかった選手がいたことがうかがわれる。
(カ)
以上のとおり、相手方においては、シドニー大会以降、申立人に限らず代表選手の健康問題について複数の医師が懸念を表明していたこと、申立人自身の健康問題についても具体的な議論がなされていたこと、申立人を診断したE医師から相手方チームドクターF医師に対して所見が出されていることを考えると、相手方において申立人の健康問題を強く懸念していたこと、その点は申立人も認識していたことがうかがわれるのである。
(キ)
一般に競技者が競技スポーツを行うに十分な健康状態であるか否かについては、医師によって判断に差がありうるところであろうが、ある競技団体が代表選手選考を行うにあたっての「健康基準」の適用については、競技団体の自律性に鑑み、その判断がチームドクター等の意見に基づいて適正になされている限り、かかるチームドクター等の意見が著しく合理性を欠く場合を除き、同団体の判断に合理性が認められるものと言うべきである。そして、本件の場合、通常の競技水泳を自己責任のもとに継続する場合の医学的判断と、パラリンピック大会という長期にわたる大会に日本を代表する選手として強化する対象となる強化指定選手への選出についての医学的判断とは自ずと異なるというべきであり、相手方チームドクターがパラリンピック大会への代表選手選考という観点から申立人の健康を判断するにあたり、前者に比べてより厳しい水準を適用したとしても著しく合理性を欠くということはできない。
(ク)
したがって、両当事者より提出された医学的所見を総合的に勘案すると、申立人提出の複数の診断書の内容をもってしても、前出のシドニー大会医務班報告やチームドクターの所見に基づき、申立人が健康基準を満たしていないとした相手方の本決定に関する判断が著しく不合理であるということはできないと考える。
(iii)年齢基準及び品格基準について
年齢基準についてみると、本決定においては、「年齢」については2頁に4行程度「貴方の支援者のMさんにご回答させていただきました」と記載がある。また、品格基準については、2頁から3頁にかけて8行ほど「トップアスリートとして礼儀や規律を重んじる日本代表となり得る者」と記載がある。これら記載内容における重点の置き方、及びそれまでの両当事者間で交わされた議論の経緯を考えると、年齢や品格も考慮に入れた事実は否定しきれないものの、申立人の健康問題が主たる理由であり、年齢、品格の点はあくまで付加的な理由に過ぎないというべきである。
(iv)基準の運用の合理性についての結論
そして健康基準についての相手方の運用が著しく不合理であったということが出来ない以上、結論において健康上、医学上の理由により申立人を平成15年度強化指定選手に選出しないという本決定の結論は維持されるべきであり、仮に年齢基準及び品格基準の運用に多少問題があったとしても、この結論には影響を与えない。
(4)本決定に至る手続きに瑕疵があるか否かについて
(i)
申立人は、相手方が本決定を行うにあたって、他の選手に対しては送付している選考のための資料の提出を要請するに過ぎない本申請書類すら申立人に送付しなかったこと、申立人に関する現状での健康状態を判断するための診断書その他の十分な資料を収集する努力を全く行わず、他の選手と比べて不公平であり、かつ、それ自体においても不十分な資料に基づいて本決定を行っていることから、本決定を行うに至る手続きにおいて瑕疵があると主張する。そして申立人のような競技成績を残している選手については、少なくとも他の選手同様に、本申請書類を送付した上で、十分な資料を収集し、選考を行うべきであり、これを不平等かつ不合理にも行わずに行った本決定については、その手続きにおいて瑕疵があるというべきであると主張する。
(ii)
本決定に至る実質的な決定が平成15年3月15日の強化指定選手選考会であり、その医学的判断の基礎となったチームドクターとの検討が、その前日の3月14日であるが、他方、申立人に対しては申請書類を送らない(事実上強化指定選手の対象としない)との決定は、他の選手への申請書類送付時期である平成15年2月頃がなされていたと考えられる。この点、申立人は知人を通じて申請書類不送付の理由を質したところ、相手方Y2より、シドニー大会の際の体調不良を指摘され、医師から競技を制約されている選手には文書を送付できないとの回答を受けたと主張している(申立書9頁、21頁)。このことは当時すでに相手方は、申立人の健康問題を理由に選考の対象外とすることを事実上決めていたことがうかがわれる。しかしながら、その判断をいつ誰が行ったかについては、疑問なしとしない。
(iii)
本来であれば、相手方は、メダル獲得に関心をもつ競技団体として、世界ランク5位相当の選手について選考対象として検討するのは自然であり、申立人に対して、改めての診断、面談があってもよかったのではないかとも思われるが、そのような事実は見当たらない。
(iv)
もっとも、申立人は自己が国際大会の代表選手の選考から漏れるのではないかとの危惧を遅くとも平成14年の時点でもっており、そのために相手方のチームドクターであるF医師に選考基準についての質問書(甲第第19号証)や「質問状の回答について」と題する文書(甲第21号証)を送付するなどの行動をとっていたのであるから、相手方及びそのチームドクターにおいては申立人の健康状態と競技水泳の継続について検討の機会があったことは想像に難くなく、相手方には、手続き面で不明瞭な点はあったものの、申請書類を送付しなかったのは、健康面及び医学的見地からであったことがうかがわれる。
(v)
そしてその判断の当否については、前述の通り、本決定時及び事後の判断として、結論において著しく不合理ということはできないものであるから、仮に手続きに問題があったとしても、本決定を無効にするだけの重大な瑕疵があったとは言い難い。
3. 本スポーツ仲裁パネルの意見
(1)
申立人は、11歳のときにネフローゼ症候群を発病し、23歳のときに脊髄炎が原因で胸から下の自由を失うという障害を負いながら、33歳を過ぎてから水泳を始めて以来、競技水泳への参加を心の糧としてきたことがうかがわれ、またシドニー大会での女性200m自由形リレーメンバーとしての金メダル獲得を始めとする数々の好成績を残してきた。相手方も、健康面の理由を除けば申立人の記録、実力が強化指定選手に選出されるのに十分であったことを認めている(Y2証言)。そのような申立人にとって強化指定選手への選出から漏れることや、その結果としてアテネ大会への出場が不可能となることは、極めて重大な問題であり、申立人の心情に大きな喪失感をもたらすことは想像に難くない。
(2)
また、申立人と相手方との間では、シドニー大会における個人コーチの処遇、外出、その結果としてのシドニー事件、帰国後の反省感想文ホームページ掲載問題や平成14年のA氏記事写真ホームページ掲載問題などをめぐり感情的な対立があったことは否定できない。相手方もまた、本決定の理由として、申立人の品格の問題を上げるなど、事態をいたずらに複雑にするような対応をしている。
(3)
しかしながら、すでに証拠により認定したとおり、申立人は、長期にわたるステロイド治療の継続により、医師の判断としてその副作用の結果と疑われる骨頭壊死を生じており、現在もステロイド薬の摂取を継続している。また、今後もストレス等が原因となって腎機能が低下する場合のありうることがうかがわれ、その場合にはなおステロイドの一時的増量服用が必要になる場合のあることは申立人自身が認めているところである。これらの状況下において、競技団体が、本人の希望と実力(パラリンピック大会でのメダル獲得の可能性)を考慮して競技者の自己責任をもってパラリンピック大会につながる強化指定選手への選出を認めるか、競技者の健康を医学的に判断して選出を見送るかという問題が本件の本質なのである。このことは、相手方と申立人との間に感情的な対立があったとしても、変わりはない。
(4)
申立人は、シドニー大会後も国際大会に出場して研鑽を積み、ステロイド薬の減量に努めるなど可能な範囲で最善の努力を続けたことが認められ、相手方の決定を受け入れがたい心情であることは十分理解できるが、前述のとおり、通常の競技水泳を自己責任のもとに継続すること(及びそれについての医学的判断)と、パラリンピック大会という長期にわたる大会に日本を代表する選手として強化する対象となる強化指定選手への選出(及びそれについての医学的判断)とは自ずと異なる考慮が必要というべきであり、結論において上記判断は妥当であると考える。
(5)
もっとも、相手方の申立人に対する対応には、次のような点で不適切と言わざるを得ない点があったことがうかがわれる。
(i)
相手方は申立人に対し、平成13年度の強化指定選手への不選出を平成13年5月14日付書面(甲第9号証)により通知した際、その理由として「年齢とランキングを考慮し選考しました。また、今後予定されている国際大会派遣資格を失ったものではありませんので申し添えます。」と記載し、平成15年度についてはその時点での実力で選ぶことをうかがわせ、申立人にも自己が選出される可能性のあることを期待させたが、相手方の主張、立証によればその時点で健康上の理由により今後申立人が強化指定選手や日本代表選手に選出される可能性はなくなっていたと考えられる。この点、相手方は、他の選手と同一の通知書フォームを使用しただけと主張するのかもしれないが、通知書の記載にも配慮が必要であったと思われる。
(ii)
年齢基準についても、平成13年2月改正の本規定で設けられたものであるが、その目安として40歳以上を挙げていたにもかかわらず、当時44歳であったN選手を平成14年度の強化指定選手に選出するなど、不透明な運用をしており、平成15年の本規定の改正の際に、年齢基準を本規定から削除するなど、ちぐはぐな対応をしており、申立人において自己を恣意的に排除しているのではないかと強く疑わせることとなったと思われる。この点、相手方Y2は、証言において、不選出の理由として障害者の健康問題を挙げることはデリケートな問題があるので、あえて年齢問題で説明したと証言しているが、そのような不透明な説明はかえって申立人の疑念を強くしただけであり、相手方としては、適切な医師の所見に基づき下した正当な判断であるのであれば、毅然として真実の理由を伝えるべきであったと思料する。
(iii)
また、平成13年から平成15年の本規定の改正が、申立人のケースを念頭においたものと思われるふしがあり、特に「トップアスリートとしての品位」の点については、他の競技団体の選考規程を参考とした事実もないことから、申立人排除を目的とした規定ではないかと申立人において強く疑わせることとなったのも事実である。
(6)
このように、相手方の申立人に対する対応には、すでに指摘したとおり、わが国において唯一パラリンピック大会の水泳部門の日本代表選手を決定できる権限を有する団体として極めて不適切と思われる点が認められる。相手方は、ボランティアによる少人数の運営であることを強調するが、ボランティアによる活動であるからといって、競技者に重大な影響のある選考の基準や手続きが不透明であったり恣意的であったりしてよいということにはならないことはいうまでもない。のみならず、上記判断中に指摘した点は少人数のボランティアによる運営であったとしても対応可能なものであった。仮にボランティアによる活動であることを理由に上記に指摘した点が肯定されるとすれば、はたして相手方がわが国の代表選手を選考する団体としての社会的期待に応えるだけの組織及び体制といえるのか、疑問なしとしない。この点も、申立人に誤解や強い不満を与える一因となったのではないかと思料されるのである。
(7)
相手方においては、その選考に関する判断が、競技スポーツを生きがいとし、実力的にも日本を代表するレベルの競技者の競技人生にとって極めて大きな影響のあることを認識し、選手選考手続きの透明性及び客観性の確保を図るべきである。このためには、本スポーツ仲裁パネルとしては、相手方に対し、今後の選手選考において、次のことを希望する。
<1> 強化指定選手及び日本代表選手への選考にあたり、チームドクターの客観的な意見を仰ぎそれを基に相手方内の適切な合議機関による選考会議(選考委員会など)を開催し、誠実な協議により判断すること。
<2> かかる協議について議事録その他客観的な記録を残し、対象となった競技者より請求があった場合には、第三者のプライバシーその他の利益を害さない範囲で可能な限り開示すること。
<3> 身体障害競技スポーツにおける、治療のための薬物摂取とアンチ・ドーピングの関係について、競技者の指針となるべき見解及び選手選考にあたっての明確かつ客観的な基準を可及的速やかに策定し、これを開示すること。
4.結 論
以上のことから主文のとおり判断するとともに、本件の事案全体を勘案し費用の負担について主文のとおり判断する。
2004年2月16日
仲裁人:野村 美明
浦川 道太郎
水戸 重之
以上は、仲裁判断の謄本である。
日本スポーツ仲裁機構 機構長 道垣内正人
※申立人等、個人の氏名はX等に置き換え、各当事者の住所については削除してあります。
▲ このページの先頭へ